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【講座】安定の落とし穴
2019.9.30

前回からのさらに続きですw

28歳のときに愛知県にあるロボット開発のベンチャー企業を退職することとなり、大阪に戻ってきました。

大阪に戻る際、事前に転職先を探しました。

 

前職が、超の付くほどのブラック企業で、僕が入社してからも当時いた先輩たちが、みな体調不良で入院していくような会社でした。

 

最初の直属の上司に至っては、お客様との商談中に

「バタン!」

と大きな音が聞こえたとともに、そこにいた人間が

「倒れた!」

と叫び、救急車が駆けつける騒動がありました。

結局、この直属の上司は、僕と出会って3か月ほどの頃、過労で長期入院し離脱しました。

 

その後、上司になった人間も、その2か月後ぐらいに過労で入院してしまいました。

さらにその後は、同僚がそのポジションに就こうと張り切っていたのですが、

「お腹痛い」という原因で出社拒否が続いてしまうのでした。

 

結局、「ところてん」のように押し出され、僕がリーダーになってしまうような会社でした。

 

そんな会社を退職するにあたり、今度は安定した会社に勤めようと企業を探しました。

そこでご縁があったのが、財閥のS友金属の子会社の機械メーカーでした。

そこの常務に気に入られ、

「一生安泰だから腰を落ち着けて、頑張りたまえ」

と言われ入社しました。

 

当時、16年ほど前の頃、大手企業が倒産することもないだろうという神話が、根強く残っていました。

この会社、さすがS友財閥とあって、労働組合も強く、超が付くほどホワイトな会社でした。

 

給料は安いが、福利厚生が手厚く、勤続年数の長い方ばかりで、僕のような転職者は大変珍しい存在のようでした。

 

その後、いろいろあり、この会社を退職することになったのですが、

退職の際も、この常務に

「こんな安定した会社を辞めるなんて!お父さんやお母さんが泣くぞ!」

とひどく叱責されたのでした。

 

しかし、その後、財閥系の安定したこの会社は、

大きな企業合併が起こり、合併後の力関係で、別の企業側の方が上位に立ったのです。

 

そこで、事業再編が始まり、結局、数年前にこの会社は消滅したのでした。

 

その情報を聞いたとき、

「辞めて良かった・・・」

と心から安堵したのでした。

 

安定の落とし穴を見たような出来事でした。

 

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